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2012/09/23

一定期間更新がないため広告を表示しています


夢・論
2010/02/17 23:41


車を運転しながら、ふと、


「夢なら早送りしちゃおうッかあ〜」と思う。


その先はもちろん自分にとっていい状態になっていて


楽しい場面を想像するのだ。





ほら、夢ならそういうふうにしたことあるでしょ。


やばい場面になったら必死で起きようとしたり、


「醒めてしまえ」と叫んだ途端、目覚めるたりすることは


よいあるでしょ。





そんなふうに日々現実もなるんだろうな・・・


きっとほんとはそうなんだ。





車で何度も走ったことのある道は


ほとんど記憶で運転してて、


ぼーっとしていても目的地に向かってたり


むしろ途中からいつもとは違うところに行く時でも


そのままいつもの道に行ってしまったり


することは日常的に経験することでしょ。





つまり、新しいことをしたい時は、


ちょっとミスしたり、いつもと違うことをする。


すると、頭ん中で、「あれ?おかしいぞ」と


思って訂正しようとするから、それをうまく阻止する。


するとまったく新しい状況が生まれる、





って、たぶんそういうことは起こりうるんだってことだ。





今必死でそういうことに挑戦しているわけで、


どこの高校でもいいやといいかげんな奴らや、


自分をコントロールできなくて人をいくらでも傷つけても


平気なヤツらを眺めながら、


結構まともな人生に見えてくるから困ったものだ。





今のうち甘えておいて、


いつかギャフンと言う時は誰にでもくるから、


そんとき、どうするか、なんだよな。








積もらなかった雪のなごりを横目に


遅刻しようになった今朝のとっくに過ぎて過去の時間。





さあ〜て、今日の夢はどんなだろ。


早送りして見たいほどわくわくしたのがいいなあ。





朝起きるのがもったいないくらいのライブな夢を。





雪の舞う晴れの日
2010/02/06 21:22


風花が舞う空は、雲の動きが早く、


曇ったり晴れたり忙しい。





風が冷たくて強くても


何か春の気配がする。





たぶん、自分の心持しだいなのかなとも。


春が来て、花が咲き、ぽかぽかとした陽だまりを


思い浮かべて、強く望んでいるからかもしれない。





もともと春は好きだけど、


日本の春は、学校の年度末なので独特な感覚があるんだろ。


欧米だったら夏休み前にバイバイして、次のステージは秋だから、


クッバイ即ハローな日本とはだいぶ違うんだろな。





2月は、冬になったり春になったりしながら3月に繋ぐ。


それぞれの季節はあるべくしてあり、


こんな冬と春の狭間があって季節が移り変わるのがわかるんだろな。





植え替えた庭の小さな白い花に水をやった。


きっとしばらく楽しませてくれることだろう。


寒さに耐えながら、春を待ちながら。。。


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I do what i like
2010/01/27 02:44


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稼ぐ・・・


つまり生活などに必要なお金が十分あったとしたら、


今の仕事をするだろうか、という問いかけに


Yesと答えられるだろうか。





好きなフィールドであればよしとするか、


好きなことに携わっていればよしとするか、


それとも・・・





中学生くらいが進路を決めかねてたり、


したいことがわからないというのは


歯がゆい気がするけど、しかたないのかもしれない。


たとえばどうしてその高校に行きたいのかということを文にすると


判を押したようなものになるのは、大人がそれを要求していて


本人が本当にそう思っているかというと、半分本音があればいいくらいだろう。





お互いにそうとわかっていてやり取りをするのは無駄


って気がするけど、儀式のようにそういうことを繰り返すから、


いつのまにか、自分以外のものによる価値観によって


作られた将来を、さも自分が描いたように考えてしまう。








今、目の前の動画で歌っているSINGERは


十代の半ばくらいには、この姿を描いていただろうか。


たぶん・・・そうだと思う。











たとえば、私がビデオカメラを持って


ひとたび「被写体」を撮るという意識になった時は、


すでにそのことが好きになっていた。





それまで写真を撮るということも嫌いではなかったけど、


さほど夢中になることはなかった。


子供の頃から下絵を描くとうまくいくのに、色を付け始めると


途端にさえなくなってしまうことから、苦手意識があったのが、


それに関係しているかもしれない。





何かのきっかけから、動画を撮ることを面白いと思ったのは、


今まで見えなかったものが見えるようになったからだろう。


それまでもそこにあったのに見えなかっただけで、


あるとわかった途端、好きになっていた、と。





たとえば、歌うことが楽しい、好きというのは、


小中学校の頃、触ったこともない楽器を演奏してきて、


自分という楽器に気がついたときは、もう好きになっていた、


ということかな、と。








そこでプロになる、実際にギャランティを得るようになるのは、


そのフィールドや時代の要請に応えられる必要があるし、


仕事となれば、好きにやり放題というわけにはいかない。


だからといって、できそうもないといって好きなことをあきらめる


こともない。なのにたいがいは理由をつけて止めてしまうのだ。








雪が降り始めると


ちらほらと地面に落ちてはすぐ溶けてしまう。


でも、雪そのものがなくなったわけじゃない。


形を変えてそこにあるのに、見えなくなったと思ってしまう。


どんどん降り注いでいくにつれ、土色の地面が白くなっていく。


いつのまにか、踏みしめても白いまま靴跡がつくようになる。








すっかり積もった雪は、次の日の太陽の日に当たり、


息を呑むような美しい光の情景を造り出す。


いつか、雪がすっかり溶けてしまってもその情景はそこにある。





見えなくなってしまうのは見ていないだけで


なくなってしまったわけではないのだ。








気がついて見えるようになったときが、


また始まりの時。


後は、踏みしめた一歩の次を踏み出すかどうか。。








つづく





ドライブ&ライブ
2010/01/17 01:07


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小春日和の今日、ドライブに出かけた・・


って、用事があってしかたなく出かける羽目になったのだけど、


そういってはつまらない。





数ヶ月前まで毎日のように走っていた道のりも


いくつかルートを開発^^したけど、


信号の少ないこの田舎道が一番いいかな。





春間近とまではいかなくとも、


あと何回か寒さを越えれば花の季節を迎えそうな雰囲気がある。





用事を済ませて即刻退散。


来た道を戻っていく。


途中で、白鳥の飛来地が近いことを思い出し、


出てきた看板を頼りに行ってみることにした。





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穏やかな川の流れに二十羽あまりだろうか


水面の光に白い優雅な姿を現していた。





ふたりほど本格的なカメラをセットして構えていた。


おそらく、飛び立つシーンを待っているのかもしれない。


人間からするとそんなアドリブは計算できないものだから、


時間をかけてその瞬間を捉えるしかないんだろう。


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車を運転中は、ライブのDVDをかけっぱなしている。


このライブのいくつかは、実際に私がいた会場のものだから


臨場感もあっていい。


これらは同じ歌手のもので、毎年一つずつあるのだが、


一昨年の秋以降冬にかけてまとめて購入したものもある。





それまで、あまりにも実際に行ったライブがすばらしいものだから、


DVDを買うのもためらわれたということがあった。


が、訳あってそろえた。


そして、これらを後1ヶ月ほどすっと聴くつもり。








金曜の夜のライブは、ヘビメタ即興だった。


今日は、アコースティックな、でもちょっとハードな楽しいライブ。


それらは記録媒体としてお披露目することがあるのかどうかは


わからないけど、


間違いなくライブでなければ味わえないものがある。


そこにいるってことで得られるものがある。








西の夜空に、


明るい星ひとつと、上向きの細い月が輝いていていた。





それは、まるで片目をつぶってにっこり笑った顔のように見えた。








白鳥は、春になる前にまた旅立つんだろう。


旅立ちの瞬間は、ライブのクライマックスのように


感動的でドラマチックだろうな。





太陽の光がまぶし過ぎて、星も月も見えないから、


にっこり笑うのは、その時を狙って待っているライブなカメラマンかもね。





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なくほどのことじゃない 2
2010/01/16 22:09





経験則で物を言う。


特別なことではないんだろう。





医者とか先生って肩書きの人達には


それを重視する場合が多いのはしかたないかもしれない。





身体という命や精神という命を預かっている以上


リスクマネージメントをしっかりやらないとならないのは


わからなくはない。





同じケースを何度が経験し、それが同じ結果を生んだ


となれば確率が上がり確信となる。


そんな確信は、リスク回避の手段として使われる。


そういう意図でなくても結果そういう効果が出る。





もし、過去の事例が100%だとしても


それはその人の100%であり、世界の100%ではない。


そうでなくても、過去の経験だけで確信を持つことは


危険だ。





ほんのわずかな可能性にかけるのは、


そうでなかったときを思えば覚悟しておいた方がいいと


言うことが親切だというより、


やはり、リスク回避の意味の方が大きいとではないかと思う。





いろいろな理屈を専門用語を交えながら言われる側は


終わってみれば、それに納得したと頭を垂れることになる。





それに対抗するには、


こちらもそれなりに理論武装・・・


言い欠かしてしまうスキルというより、


それを包括してしまうようなアイデアを持つことだ。





様々な関連情報を入手することも、


同じ立場の他の人の意見を聞くことも


書物を読むことも役に立つけど、


確実に言えることは、





他人の経験則は、自分の世界で起こったことでないということを


わかっておくことだ。


自分の世界に起こっていないことであれば、


知りようがないし、その確実性の真意など図りようがない。





さらに、未来に関してはまったくのどうなるかわからないのだから、


違うと思うならそれを鵜呑みにすることはないし、


未来のことは、自分がこうでありたいと思うことは自由であるし、


その通りの結果が起こらなくても誰のせいでもない。





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「吹奏楽は続けるんだ」


「うん、やるよ。


私、○○高校に行きたいんだ。でも先生(担任)は


確率は半々だろうって。だから変えることも考えろって」


「でも、そこに行きたいんでしょ。


行きたいところに行くのがいいよ。あと2ヶ月あるじゃないか。


これからどうするかが大事だよ。


あとでしまったと思うかもしれないと思うなら、行きたいところを目指すべき」


(うん、うん)


「自分で考えて自分で判断して自分で決める、で行動する。


そうすれば自分の責任だから。」





うん、うんとうなずく横顔に、


「私はそう思うけど・・・最後は自分で決めなよ」





他のふたりがさぼって来ないトイレ掃除での会話^^;





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経験や過去の記憶をたどることはごく普通のことであって


間違ってるんじゃない。


でも、未来のことを考える時は気をつけなきゃならない。


よかったなってことはどんどん役立てればいいけど、


それさえ自分が本当にそう思ってるのか思わされているのか


よく考えた方がいい。





悪いことやいやなことだったら、もうほっとけばいい。


反省するのが美徳だろうと何がしか意味があろうと、


それをしない方がいいっていう否定形は脳は認識はしない。


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〜はあきらめた方がいい、


どうしてそんなふうに言えるんだろう。





いくら命に直接関わることじゃないとしても、


望まない結果もあるかもっていうのは、体感が一番わかっている。


そこから抜け出すすべも持っているのも事実。


その事実と実現に大きな河があるのも確か。





その河の流れがどんなものに見えるかは


橋をかけ渡る本人にしかわからない。





だから、渡る価値があるんだろう。


出来損ないに見える橋しかできなくても、


石橋を叩いても、目をつぶって走り抜けても


それは自由








自らを由とすることにあきらめはない。





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泣くほどのことじゃない
2010/01/13 02:07





たぶん、何も心配のない健康体だったら、


胃が痛んで検査したら、胃潰瘍だったなんてことになると


ショックを受けたり、


気落ちしていっそう病んでしまうこともあるだろう。





たぶん、受かると思って受けたテストに失敗し、


進路変更を余儀なくされた受験生だったら、


人生の大失敗と感じてしまうこともあるだろう。





たぶん、代々宮大工の家系で伊勢神宮の25年ごとの


建て直しに携わってきたのに、今回ははずれてくれと


言われたら、気力を失い仕事が手につかなくなってしまう


こともあるだろう。








たぶん・・・


もっと重い病気の人だったら、


受験など何回も経験している大人だったら、


芸術家として文化財級の建造物を手がけている人だったら、





この程度ならよかったと思ったり、


失敗とは思わなかったり、


はずれたらそうですか、と淡々と他のことを始めたり、





きっと、


もう一回り外から見える所から


まったく違う考えや思いを抱くかもしれない。





それは立場が違うから当然・・・


・・・そうだろうか。








私は今、楽器に埋もれた部屋で寝ているとする。


時おり泊まる都内のビジネスホテルの寝床の方が


ずっと寝心地いいとする。





その時の私は、


お金がなくて楽器の置き場に困って


しかたなくそうしているかわいそうな人でなく、


すぐそばにある楽器たちがここに来たこと、


この先生き生きと音を奏でる舞台の光を思い描く





胃を病んだ人であり、


受験生であり、


宮大工であり、





うとうとと眠りに入って夢を現実にする


病人であり、


いい年した大人であり、


芸術家なのだ。








今日も星空がきれい。


見上げれば・・・





        泣くほどのことじゃない。


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新年初日にて・・・つづき
2010/01/01 10:42


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高校時代の話に戻る。


この続き(かも^^;)


http://d.hatena.ne.jp/pikimoon/20091231/1262219511


真似するところから始まるのだけど、


それは理屈ぬきにそのままあやってみるということだ。


前提として、いいと思っているので、


そのまんま同じ事をしてみる。


やってみると違いが出るのでそれを修正しようとする。


場合によっては瞬発力が足りないんだな、


筋力がないんだな、ということになれば、


到達したいプレーを目標にその力をつけるべく練習をする。


そして、実践、そして修正の繰り返し。





実際の練習中は、ゆっくり思考する間もなく、


コート上では一瞬の気の緩みも許さない状況なので、


すべて同時進行で行っていく。


ちょっとぼっとしようものなら、容赦ないワンマン指導に


突入・・・こうなったらもう体力気力の全てを使い果たす極限状態を


味わえる^^;





バレーボールの場合、タイム制のスポーツゲームと違い


プレーとプレーの間が比較的あるので、


正直、通常の練習より練習試合の日の方が精神的に


数段楽だった。





昔は、合宿などでは5〜6時間ぶっとーしなんて練習は


当たり前だったから、球拾いひとつ気が抜けない1年の時は


その緊張感の継続はかなりつらいものだった。





今なら、理不尽な数々の状況をやらずにしてもっといいプレーが


できるようになるだろう。





でも、あこがれの先輩に追いつくように懸命だった時、


アタッカーの練習の球拾いのときでも、


それをどんなバウンドでも正面に取るとか、


オーバーパスの形で捉えるとか、


いつも最高のトスが上げられるようになるための


練習にしてしまっていた。





夏休み以降、指を怪我して新チームのレギュラー入りを逃した時


監督が、「アタックの練習をやってみろ」と言った。


私はがっかりしたが、悔しさのあまりがむしゃらにその練習に取り組んだ。


試合にも出たが、虚しかった。


アタックの練習の時は、ストレートしか打たないと決めそれだけをしていたり、


どこのポジションからでもやってみたりした。


ホームのお手本にもよくなった。





でも、もともと背もあまり高くない私の出番は少ない。


「このまま終わってしまうのだろうか・・・」


そして、そのまま鬼監督が他の学校に移ることが決まった。


私は、もう止めてしまおうかと何度も思うようになっていた。





送別会で、鬼が泣いていた。


教員としてはいわば栄転だったが、本人が心から望んでいたことでは


なかったらしい。勤め人の悲しい性だ。





そんな監督に呼ばれた。


「お前をアタッカーにしたのは、次のチームのセッターとしての


いわば修行としてだった。アタッカーの気持ちをわかる選手になって


ほしかった。それを体験してほしかった。夏からセッターの練習をさせようと思っていた。


お前にはセッターのセンスがある。しっかり練習を続けてほしい」





その監督がいなくなった伝統校の後は、悲しいくらい別世界になった。


そうだとしても、次々にやめていく仲間と一緒に行動する気にはなれなかった。


卒業生からの叱咤、下級生からの注文、考えの違う新監督とのいさかい、


同級生の離脱、教室での別途扱い(笑)などなどを経て、引退の時を迎えた。





私は、人生の転機を逃したのかもしれない。


3年の最後の三者面談の時、音楽の担任が


「あなたには音楽の進学を勧めたかったのだけどね・・・


バレーを選んだから(言えなかった)」と言う。





バレーボールを続けても、それで身を立てる可能性は限りなく少ない、


そんなことは高校生の私でもわかっていた。





でも・・・今から思うと、何かを極めたかったのかもしれない。


その時のレベルではあるけど、自分のいる世界を打ち破りその先へ先へと


見えない向こう側へ行こうとしていたのだろう。





実業団に行ったOGが、ある練習試合中に言った。


「信じられない・・・」


私がネット際のボールを追い、思わず片手でコートの外から


レシーブした時だった。


後ろを振り返ると先輩アタッカーがジャンプしていた。


そのカバーするしかなかったようなボールを私はトスにしていたのだった。


先輩はまさかトスになるとは思ってなかったらしく打ち損ねて、


後で怒られるのだけど。





「信じられない・・・」トスは、常に私が触ったボールは全てトス、と決めて


日々練習していたことで成せる業だったかもしれない。





私は、決して特出した選手でもなければ、全国大会常連のチームに


いたわけではない。もっともっと厳しい状況や練習に明け暮れていた


選手は数知れずいるだろう。





その年頃なりに、一つのことを極めたいと懸命に取り組んでいたこと、


それにある程度の期間を費やしたことに後悔はない。





今では、すっかり足を洗って、あの頃傷めて完治してなかった膝や肘の


痛みに悩まされるようになっているけど・・・








理不尽の海に投げ込まれて、


真意を知り、自分を肯定する。





そんな機会をどれくらい与えてあげられるだろうか。


休み明けに再び対峙する2010年の荒波に旅たつ小魚たちに





本当に好きなことをやっているときは、


それを努力なんて呼ばないと





さーて、それは自らの目標なんだ。


いつでもどんなときでも


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2010年1月1日の朝日





今年最後の星空ライブ 本編編
2009/12/29 03:26


前回のは予定に基づいたフィクション。


その通りになったのか?って?


ちょっと違ったけど、青空だったのは正解!


以下は、「今日のフィクション・・」


・・・・・・・・・・・


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「もう帰る?」





私は、今度はまっすぐ目を合わせて両手を振って応えた。


熱気で暑いくらいの室内を出ると、真冬の空気が冷たく触れた





あっという間に冷たくなった手を合わせて空を見上げた。


(あれ?昼間晴れていたのに星が見えないなあ・・・)


都会の明るさが見えなくしているだけかもしれない。





「今年ももうすぐ終わりだね」


「来年は・・・」


すれ違ったグループのおしゃべりが遠ざかる。





「じゃあね、よいお年を」とまた手を振って


ホームに滑り込んで来た新宿方面の電車に飛び乗った。








胸の奥を風が通り抜ける。


破り捨てた日めくりのカレンダーの最後の一枚が


ゆらゆらと落ちていくのが見えた。





乗り継いだ電車に揺られて到着した駅のホームは


凍りつくように寒い。


足早に歩きながら空を見上げても


星は見えなかった。


こんなにあたりは暗いのに、


都会の光はここにはないのに・・・








駅の広い通路から女の子の歌声が聞こえた。


男の子がギターを弾いていた。





そうだ、コンビニで熱いお茶を買おう。





たとえ、見上げた夜空が星できらめいてなかったとしても


頭の中の雲というフィルターをはずせば


いつでもそこに星はある。








星空の下でまた会える夢を見続けていく


            





Free ・・・from what ?
2009/12/27 01:30


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池袋から新宿へ向かうアナウンスが聞えると


いつの間にか寝入ってしまった意識を取り戻すのが


最近のパターンになっている。


渋谷駅の湘南新宿ラインは後からできたせいか、


他の路線とはずいぶん離れている。


駅の中心部に向かうちょっと長い道を足早に歩くのは


都会のざわめきに慣れるのにちょうどいいかもしれない。





マークシティの5階に上がると、


相変わらず、長い列ができている。


このビルが出来たころ一度行った事がある店だけど


この有に30メートルくらいある最後尾までの何人が満足するのか・・・





その先にあるスペインバルの方がよっぽど私は行きたいぞ。


と、いくつかの店を横目に通り過ぎ、コンビニに入る。


トンネルを抜けるように、外に出ると、道玄坂の上の方に出る。


ハチ公口交差点付近の雑踏を避けるのにちょうどいい。


建物の中にいるにはもったいないくらいよく晴れた空が見えた。 








自由ということをどのように定義しようか。


漢字からは、自(分)を由とするとなる。


自由自在ならば、自分を由とし、在るとするとなる。





英語のfreeには、その後にfromがついて、


「〜から逃れる(自由になる)」というふうに言うのが普通だ。


この場合、何から逃れるのか?


ありとあらゆる自分を束縛するものの根源は・・・








夜になって道玄坂を下ると


いつもの週末の雑踏はなく、


飲み屋の前に数人のグループがたむろしているか


居残り組みが騒いでいるか・・・


年末の都会の一風景があった。





来た時と同じトンネルを抜けていく時、


連れ立っていたひとりが


「シアトルだよ、行こうよ!」と言った。


私の「来年は国外脱出だ」に応えるようにそう言った。


「そうだね」と言う私は


ずいぶん昔、ワーストウエスト、おっと違った


ノースウエスト航空がオーバーブッキングしたため、


デトロイト直行便に乗れず、シアトル経由便になったとき


トランジェットで寄っただけのシアトルを思い出した。





次回は降りるんだろうか。





アメリカ在住のため一時帰国で会った人たちに


今度はアメリカで!と話したっけ。


さて、まずはパスポートを更新しなくちゃ。


使うことを前提に。





Freedom from の後は、rulesが来るという。


rules=自分が決めたこと以外の全てのルール


なんてすてきな定義だろう。


まぶしいくらいすてきな響きだ。





これを聞いて唐突と思う人も多いだろうな。


そんなことありえないと思った瞬間、それが思った人の事実になる。





でもね、たとえば夜空に金星と月が並んでいたら


そばにあるように見えるでしょう。


少なくとも見た瞬間はそう見えるでしょう。


後から、とんでもない距離が実際はあって


地球の地上から見ているからそう思えるだけだって


学校で習ったり学者が解説しているってわかったとしても、


実際に自分で確認したことはないでしょう?





こんな私でも、日々世の中のルールにがんじがらめになってる


ということでは、最先端の世界にいると


そこに染まることが実はとても楽だということもわかる。


ところがその安全安心な場所が、それを一番享受すべき人たちより


支配者のためになっているということがよーくわかる。








「じゃあ、よいお年を。また来年!」


このところどこでも交わす決まり文句を言った。


渋谷の湘南新宿ラインのホームはずいぶんと離れている。


ちょうどいいのが来るな、と早足でホームに向かう。


外国の大きい空港のコンコースみたいだ。





きっとこの先には空飛ぶ乗り物が待っている。





だって、


月と金星はあんなに近くに輝いているもの。


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これから
2009/12/25 15:46


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  以前書いていたものをまずは載せました。


  これから書いていくことのテーマは、「移動」


  旅、書物、映像、音楽、教育、関心のある情報を発信していきます。


  ブログタイトルの「勝手にシナリオ」は


  先日出たある方を囲む会なるもので、その日の主人公の方が言った言葉からとりました。


  自分の人生は、勝手なシナリオを書けばいい、というようなお話で、


  自分勝手で他人を省みないというのではありません。


  人は思ったより自分の事を見ていない、気にしなくてもいいことを気にして


  つまらない、他人本位な人生を送る必要はない、


  というような話から、その言葉が出たのです。


  先に書いたテーマ:旅、映像、自由などをまさしく実践している人で


  周りの人たちを大事にしつつ、自分の生き方を貫いているようです。


  とても身軽、という印象は、単純に物を持ってないということではなく、


  心が軽く、いつでもどこでも許容量がある、ということです。


  ちょうど年末で、掃除もする時、物の整理だけでなく、


  身軽な許容量を増やそうと決意しました。


  ちょうど写真を撮るのにいい時間になってきたので、


  そろそろ出かけます。